<2022年6月のひとりごと>

41日、GMOの監督に亀鷹律良氏が就任した。
選手時代を含め華麗な履歴の持ち主である。


1962
年生まれの亀鷹氏は高卒で実業団の強豪旭化成に入社、198612月当時伊勢市で行われていた全日本実業団駅伝の
112.1mで区間賞を獲得、1990年元旦群馬で行われたニューイャー駅伝では410.3mでも区間賞を獲得している。

当時エスビー食品と日本の長距離界を牽引した強豪チームのエース的存在であった。
しかし、亀鷹氏の凄いのは選手を退いた後の足跡である。

1991年芙蓉、1997年トヨタ紡織、2012NTN2018キャノンアスリート、2019年中央発條とまるで軽業師のごとく実
業団チームを渡り歩いた日本では珍しいプロの監督である。

 

 選手として活躍していた亀鷹氏と同年代、私も実業団の世界に身を置いていたので、接点はないものかと調べてみた。
その当時、毎年12月の第3日曜日、伊勢の神宮下宮から賢島を折り返すコースで行われていた全日本実業団駅伝が
1988年からニューイャー駅伝と大会名が新しくなり、元旦に前橋市で開催されることになった。
その記念すべき駅伝に亀鷹氏は旭化成のエース、私はNTT関西(現在NTT西日本)の監督として出場した大会が
唯一みつかった。
亀鷹氏は1区を走り区間7位、旭化成は総合3位であった。
私のチームは総合26位でブービーだった。
当時亀鷹氏は245歳で最も勢いのある時期で、私は34歳と監督1年目の駆け出し時期で34年も前のことである。

 

 1979年、黒澤明監督の映画「影武者」のロケ中に主役の勝新太郎が突然降板する主役交代事件があった。
新監督の亀鷹氏とEKIDENダイレクターとややこしい立場の役職に就いた原晋氏。
同じ組織の中で2人の天才がどう折り合って仕事をしていくか興味深く眺めている。



以上

 

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